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会社を辞めたい!転職したい!そんなアナタに転職5回の僕が色々話すよ

こんにちは、新卒の方々はそろそろ入社から3カ月がたとうとしているのではないでしょうか。この時期というのは会社にも少し慣れ、色々と感じる事が増えてくるタイミングでもあります。

「なんか思ってたのと違う」

「友達は他の会社で充実しているのに俺は・・・」

ついつい転職サイトをチェックしてしまう人もいることでしょう。かくいう私も今までに5回転職をしていて、現在は6社目となります。

そこで今回は私の転職人生について、当時を振り返りながら経験談を書かせていただきたいと思います。

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仕事内容より帰郷を優先した1回目

もう20年ほど前の話になりますが、当時私は今は亡き家電メーカー子会社のIT部門に勤めていました。最初の二年ほどは社内SEとして毎日関連会社のパソコンを入れ替える作業をひたすら行ったり、PCトラブルの対応にあたるなどが主な業務だったのを覚えています。ただ未経験だったのもあり、仕事内容には不満もなく色々な人にも感謝され重宝されていたため充実した日々でした。

しかもIT部門は経営企画室の直下にあったため、社内でも力の強い部署というのも重なって良い環境だったと思います。

2年間はガムシャラにやっていたので、色々と感じるようになりだしたのは3年目の当たりだったかと思います。大阪の実家を出て東京で一人働いていたのですが、いつかは地元に帰ると決めていたのもあって後何年東京にいるのかを考えだしました。

3年目のある日、上司と話をしていていつか大阪にある関連部署に移れる可能性はあるのかと、40歳での推定年収などを聞いた際にどれも自分の望む未来では無かったため転職を意識し始めました。

本格的に転職活動を始めたのは4年目に入ってすぐだったと思います。とりあえずリクナビNEXTに登録をし色々と探しましたが、東京で働きながら大阪勤務の仕事を探すのはなかなか難しいものでした。余談ですが社内SEともあろうものが会社のPCで転職サイトを見ていたのがバレ、先輩に叱られたのは苦い思い出ですw当時はスマホなどありませんでしたしね・・・。

結局とある会社の東京採用求人に大阪勤務で応募するという暴挙に出たのですが意外と面接まで行け、担当者に気に入られて契約社員ではあるもののその場で内定が取れました。

業務内容としてはコールセンターのスーパーバイザーというITとは無縁の仕事でしたが、とりあえず無職にならないで大阪に帰る当時唯一の手段だったので腹をくくり、その年の9月に大阪に帰る事となったのです。

まあ大阪に帰りさえすれば改めて仕事を探してもいいやという軽い気持ちもあったのは事実です。

自分のスキルを重視した2回目

コールセンターでの業務は100名にも及ぶ女性だらけの派遣スタッフを管理する仕事です。とにかく激務で朝8時から終電という日々が続き、月の残業時間は160時間を超えていましたw前述のとおり帰郷の足掛かりのつもりでもあったのと、IT関連にもう一度戻りたかったため3ヵ月目に突入するあたりで転職活動を始めたのは言うまでもありません。

次の会社は一応上場しているシステム系の会社で、取引先に常駐してIT支援をするという業務内容という事もあり色々と勉強になりそうなので受けたところアッサリ内定が取れたため、半年間という短い期間で別れを告げて2回目の転職をする事となりました。

この会社での大きな収穫としては多くの女性スタッフを管理する難しさを経験出来た事です。おかげで今でも女性と仕事をする際に多いに役立っています。

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独立を意識した3回目

IT系アウトソーシングの会社に移ってからは安月給ながらも残業も無く希望の大阪での正社員という事もあり、今後の足掛かりには丁度良い環境でした。

最初に常駐した会社は大手食品会社が導入した新規の旅費精算システムのヘルプデスク業務だったのですが、ほとんど問い合わせが来ず死ぬほどヒマでしたw上司と3人体制だったのですが、ネットサーフィンばかりしていた気がしますw

まあこの駐在先は数カ月で終了したため苦痛は短く済み、その後すぐに大手製薬メーカーのIT推進室内にあるITサポートチームへ異動となりました。

ここでは元々いた家電メーカーのIT推進室勤務にかなり近い業務でしたが、経営陣がIT部門への理解が低くパソコンスキルが皆無な営業がデカい顔をしているという構図で、私が営業部門という組織が嫌いになったのはここが原因かもしれません。

IT部門は俺らが食わせてやってると言わんばかりの偉そうなバカが多く、何度アカウントを止めてやろうと思ったことかw

そんなこんなもあり、ここで1年が過ぎたあたりで常駐先企業のプロパースタッフさんたちとの収入差が気になるようになりました。

その製薬メーカーの年収は20代後半で約560万、私は残業代混みで380万ほどでした。そりゃ色々な観点で比べてはいけないのはわかっていますがどうしても現実として額面にぶち当たります。

結局そこで大逆転を狙うなら独立しかないのかな・・・という安易な考えが頭をよぎるようになりました。

当時はポータルサイトブームの真っ只中で、アフィリエイトや着メロで成功した人がテレビで取り上げられるような時代だったので、ITスキルを使った事業に興味を持つようになります。

そんな中、楽天市場というインターネットショッピングモールが急成長をしている真っ只中で、直感で「これだ!」と思ったのが14年前です。

ネット通販の求人は中小ばかり

早速リクナビNEXTでネット通販で求人を掲載している企業を探すものの、数人でやっている個人レベルの企業ばかりでした。それもそのはず、楽天市場というのは当初そういう商店レベルのお店を集めたネット商店街だったからです。色々と調べると設立1年未満の会社が結構あり、このビッグチャンスを狙って起業した会社が多かったのだと思います。

今まで大手でしか働いた事が無く、受付すら無い中小企業で働くのは相当不安がありました。ただどうしてもネット通販(イーコマース)の業界で働きたいという思いが強く、マネージャークラスでの採用をしてくれる企業に絞り活動をした結果、レディースファッションジャンルの1社から内定を取ることができました。

私はファッションなんぞ全く興味がありませんでしたが、とりあえず業界を優先するという事で雑居ビルの受付も無い小さな会社に入社する事となります。

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経営の崩壊を目の当たりにした4回目

こういっちゃなんですが、ここの社長は真性のアホでした。夫婦経営だったのですが専務である奥さんも人としてはまだマシでしたが同様です。とにかく数字に弱い、引き算もできねーんじゃねーの?wというレベルですwやはり大手での役職持ちの人達はやっぱりすごいんだなあ・・・と実感しました。

ただこのネット通販急成長の時代は本当に参入障壁が低く、経営センスがゼロでもなんとかなってしまう時代でした。

旗色が変わり始めるのは入社から2年が終わろうとするあたりです。その頃には色々な事を任され経営に近い仕事をするようになっていたため色々な数字を見ていて、どうにも利益率が低いことが気になっていました。

原因は広告配信に対する転換率低下でした、つまり商品が当たらなくなってきたのです。その当時は続々と楽天市場に勢いのあるショップが参入をしてきていて、低単価でそこそこのモノがあふれるようになってきていました。

そして会社の利益率はどんどん下がっていっているのに大きなビルへ引っ越したり、新卒を多く採用したり足元を見ない経営がどんどん業績悪化に拍車をかけていました。

進言するとキレるので、この会社の死期を悟り次のステップへと動く準備を始めます。

ひょんな事から雇われ社長に

たまたま知り合いを通じて紹介された商社の社長にネットショップ立ち上げを打診され、代表取締役に就任する事になりました。

他にもあてはあったのですが、社長という仕事は非常に興味があったのでトライする事にしましたが当時はめっちゃ悩みましたw

立ち上げた会社はすぐに軌道にのり、これから自身も色々と事業を広げたいと思っていたのですが、にわか知識のついたオーナーがあれこれ口出しするようになりだしたのが気になり始めます。

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やっぱり国に守られたい5回目

労働保険も入れないわローンも組めないわブラックオーナーがうるさいわで、ずっと声をかけてくれていた今の会社で責任者をはじめたのが5年前。

雇われ社長なんかやるもんじゃないですねw人は少しわかってくると口を出したくなります。けどそういう「ニワカ」な知識で上手くいくなら誰も失敗しません。金だけ出して黙って見とけwってやつです。

現在は40歳年収550万(額面)程度ですが残業もなく有休もとりやすいため、かなり平和な日々を過ごしております。まあ会社の業績は厳しいもんですが、それはどこも同じでしょう。

転職を繰り返して感じた事

やはり得意分野を持つ事だと思います。最初の家電メーカーにいた時に、「君は何をして会社に利益をもたらすのか言えるか?」と上司に説教を食らった事があります。

もちろんですが今は言えます、

  • ITスキルや知識を使って社内の業務を効率化できます。
  • 分析スキルを使って売れる商品の企画立案を行います。
  • 広告の効果測定を行い常に最適化できます。
  • 新技術やサービスに常にアンテナを張っています。

まだまだ他にもありますが、企業の利益に直結するであろうスキルをハッキリ言えるようになる事は非常に重要なのだと思いました。ここが明確になる事で、転職先探しも行いやすくなるのではないでしょうか。自分は何を磨き、どういう事が出来るようになっていくのかというビジョンがあれば転職を重ねるごとに収入を上げる事は可能だと思います。商品力が無ければ必死に売り込まねばなりませんが、商品力があれば是非売ってください!となるでしょう?

まとめ

最初の転職は若さもあり勢いで飛び出しちゃった感がありますが、そこで自分がやっていて楽しかった仕事を気づく事ができました。そしてそれが出来るのも若いうちなのだと思います。

ただそれに気付けたのはガムシャラに仕事をした期間があったからこそだと思うので、まずは1年ないしは2年心が壊れない程度に頑張ってみてはどうでしょうか。むしろ1年後の8月に辞める!というように退職日を決めてしまった方が割り切って頑張れるかもしれません。

ただ最後に一つだけ、

「次が決まるまでは辞めない」

これは父に言われて頑なに守ってきた事ですが、ここが守れるのと守れないのでは着地地点が相当変わると思います。

ブラックすぎて辞めないと転職活動が出来ないという人がいますが、事情を説明すれば休日に面接をしてくれる企業もたくさんありますので相談してみましょう。

皆さんの転職ライフに幸あれ。



父ちゃん: 小さなお店を営む父ちゃんです。